これも炎上商売ってやつですか?

また書くタイミングを逃してしまい、数日前の今更な、しかも端っこ記事のことを書いてしまうが、「あぁ、なるほど」と思ったことを。。。

 

きょう『羽鳥慎一モーニングショー』山口、生放送で何を言ってるのか…「本当にやばい」 - いまトピランキング

 

私は玉川徹さんも好きだけれど山口真由さんも好きだ。

で、この上記の記事にある発言も生放送で聞いた記憶があるので「何がやばいんだ?」と違和感を感じて読んでみた。

 

「西村大臣は思いつきでこういうことを言っているわけではなくて、熟考の末で、こういう対策をしようと思っている」というのは擁護ではなくて、「これはヤバいし、あかん」と言いたかったのだと思う。つまりこれは「西村大臣の失言」ではないということをあらためて指摘しただけだ。少なくとも私はその場でそう聞こえてそう受け取った。

なので、わざとうそでも批判したいだけなのか、本当にバカなのか?と思った次第。

 

残念ながら山口さんにその意図を確認はできないので、私が誤解している可能性ももちろんあるが、私としてはこのgooとやらの記事を見て思うのは、「こんなに理解力がない人間が大勢いるのか」「でそれを記事にするやつらがいるのか」だ。

 

gooには「リアルライブが報じている」とあるので、リアルライブとはなにかいな?と見てみたら、「芸能界の裏情報を中心に、サブカル、お笑い、スポーツ、ミステリーなど、人気エンタメ情報ニュースを配信」とあるので記事をどこまで信じてよいかよくわからないし、こうやって山口真由さんの発言に批判的な反応がSNSに本当にどれほどあったのかも(私がさっと見る限りあまり見当たらなかった)疑わしいが、批判されて目立つことを狙って炎上するのを炎上商売と言うようですが、「誰が批判されてますよ炎上してますよ」って書いて目を引くのも炎上商売?

とすると私は炎上商売にまんまとひっかかっているのですかね・・・

 

しかし、このブログ決して多くの人に見てもらおうなどと思って始めたわけではないが、始めてみるとなるほど、批判でもいいのでたまには誰か何か文句の一つも言ってくれないかと思うものだ。これが炎上商売に走る人の動機ということか。。。

私もヤバいのか?

 

 

 

 

 

 

宇多田ヒカル

単純に一ファンとしてがっかりした。

宇多田ヒカルの「ノンバイナリー」告白って何?今さら聞けない新語の正体(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース

 それって世間に「告白」するようなことなのだろうか?

一体何が言いたいのだ?有名人という立場を利用して、個人の感情をまるで共通常識のように世間に受け入れさせようとでもいうのだろうか?

なるほど既婚未婚で呼び方を変える必要はない、のでMs.が生まれたそれはわかる。

男だってMr.しかない。ま、これも単に英語の話で世界共通な問題なわけではないが。

で、misteryと呼んで欲しい?なぜ世界があなたの個人的呼び名を認識して受け入れねばならぬのか?自分で勝手にそう名乗ればよろしい。

自分は女でもないし男でもない?いえ、あなたは生物学上、女です。

あなたが望むかどうかは関係ない。

どうもジェンダー問題を熱く訴える人ほど排他的で自己中心的という印象を持つのは私だけではないのではないか?

性は1か0かではなくグラデーションだという。そりゃそうだろう。

女性的な部分をほとんど感じさせない男性もいれば女性的な男性もいる、その逆も然り。ここでいう男性というのはあくまで計測の基準点開始ポイントとしての記号・目印にすぎない。

社会運営の都合上、典型的なmax男とmax女の目印を置いているだけだ。

病気や奇形等レアなケースはさておき(これすら病気と考えるべきではないという考えがあるようだが)、生物学上 人間には男と女しかいないのは一般的事実なはずだ。

その中でグラデーション上どこに位置するかは人それぞれだし、それによって差別される理由はどこにもない。

中には本当にまったくの中間地点にいたり、生物学上と自認が異なる方がいてお悩みになる方がいるのも理解できる。

現在では生物学上の変更は可能なのでそこは医学的に科学的に解決しようがある程度はあるはずだが、「わかんない」「どっちでもない」という人は申し訳ないが、「あ、そうですか」だ。

お悩みは気の毒だが、生物学上ははっきりしているはずだから、その性にしたがって社会のルールに沿って生活いただきたいし、あとはあなたの状況を理解してくれる友人・仲間が見つかることを祈るし、悩んでいることでこれまた不当な差別をされるべきではない。

但し、あなたを周囲が女性もしくは男性と認識することに文句を言うのはおかしい。

LGBTQの「Q」にはQustioningとQueerの二つがあるというが後者に関しては、元は「変態」の意味合いを持って、侮蔑的にゲイを表現する言葉だという。それをあえて本人たちは使うというのだ。世間が「オカマ」「オナベ」というのは差別的だと主張するのに?自分たちをどう呼ぼうが勝手だがそれをなぜ皆が理解せねばならぬのか?

これって本当に性的マイノリティの人たちのマジョリティなの?

これもマイノリティ自身がマイノリティへの誤解・偏見を助長している行為のように思えるのだが。

 

障害者が「今の私が私にとっての正常な状態だ。障害者と思ってくれるな。苦痛だ。」と言って社会が理解すると思うか?

私は「私のことをうまく歩けない健常者と呼んで欲しい」とでも言えばよいのか?

 

まして、宇多田ヒカルは下記リンクのインタビューを見る限り、自分が女性であることを自認し、喜びすら感じているとしか思えないではないか。まぁ、考えが変わったというならそれも彼女の自由だが。

POWER TALKS|宇多田ヒカルさんインタビュー|SHISEIDO - YouTube

 

ノンバイナリーとは?【Xジェンダーやクィアとの違いは?】 | LGBT就活・転職活動サイト「JobRainbow」

あほか!? 差別を非難する体の単なるいじめ

 さて 相変わらず違和感にいらいらするネタは尽きない。

ブログに書くには、書く前に多少の静観と整理が必要だと思うのだが、あまりに呆れてものがいえないものは、これからはポロポロと短文でも書きとめておこうかと思う。

そういうのって本当twitter向きなのだろうけど。

 

今日は忘れないうちにこれ↓↓↓  

6年も7年も前の12,13歳の子供の悪ふざけをこうまで執拗に非難する必要あるかね?

 

アジア人への差別発言で炎上のビリー・アイリッシュ、文書公開し謝罪「言い訳にはならない」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

 

アジア人への差別発言で炎上のビリー・アイリッシュ、最新投稿に厳しい声…謝罪投稿から1週間(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

死刑について (その2)

今日も死刑判決のニュース

妻子6人殺害 被告に死刑判決 - Yahoo!ニュース

 

私が死刑廃止論者の言うことに納得感をもてないことに、弁護人たちの不誠実さ・非常識さがいつも拍車をかける。

当件についても、「事件当時の記憶を失っているため、被告は訴訟能力がないとして公訴棄却を主張」とあるが、いくつかの情報を見る限り、被告人は自首しており、その後手記まで発表している。

もちろん弁護人は仕事としてクライアントの利になるよう最大限働かねばならないことは理解できる。

しかし、そこには客観的・冷静な事実判断・科学的根拠が伴うべきなのはあたりまえだ。

山口光市母子殺人事件で、ドラえもんがどうのと平気でのたまった安田好弘なる弁護士などはそれこそ訴訟能力がないと思える。

 

日本においては死刑廃止論者のほうが賛成者に比較してマイノリティな存在と言えるかと思うが、これもマイノリティ自身がおかしな過度な主張で自分たちの主張を疑わしくし、一層周囲の目を変えてしまっている例だろう。

 

死刑について

私が長年違和感を持っている議論に「死刑廃止論」がある。

私は死刑廃止には賛成できない。

なぜか?死刑廃止論者のいうことに合理的に納得のいく点があまりに少ないからだ。

死刑廃止論者の主な主張は以下のようなものかと思う。

  1. 死刑は,野蛮であり残酷である
  2. 死刑の廃止は国際的潮流である
  3. 死刑は,憲法第36条が絶対的に禁止する「残虐な刑罰」に該当する
  4. 死刑は,一度執行すると取り返しがつかない(冤罪の可能性)
  5. 死刑に犯罪を抑止する効果があるかは疑わしい
  6. 犯人には被害者・遺族に被害弁償をさせ,生涯,罪を償わせるべき
  7. 凶悪な犯罪者であっても更生の可能性はある

1.について、なるほど残酷だとは思うが、それを言うなら牢に閉じ込めることも十分に残酷だ。程度・主観的なことであって死刑だけを廃止する合理性は感じない。

2.について、「国際的潮流」というのは様々な分野で使われる曖昧な言葉だが日本の価値観は日本独自であっても何ら問題はない。国際的潮流に乗らなければならないのは、乗らないことで著しく国益を損なうと想定される場合のみでよいはずだ。死刑存続で著しく国益を損なうことはないので、廃止する合理性は感じない。

3.について、これだけはひっかかる。「残虐」の定義が曖昧なので困るがなんせ命を奪うのだから残虐だと言えるのかもだが、それを言うと1.同様で多くの重罰は残虐なので、死刑だけを廃止議論するのは合理性に欠ける。これが私の解釈だが残というのは方法の話であって、死刑等懲罰そのものを指すものではないと理解する。

4.について、これまた冤罪となれば罰金刑等以外のどのような刑罰も取り返しはつかない。死刑だけを議論するのは合理性に欠ける

5.について、これも同様。すべての刑罰に言えることで死刑だけ議論するのは合理性に欠ける。また少なくとも死刑はその犯人の再犯だけは確実に防げる。

6.について、被害弁償ができるとは限らない、被害弁償もできないのに、生涯にわたって罪を償わせるとはどういうことを言うのか?死刑も生涯にわたって罪を償わせる方法のひとつであり、感情的な意見としか思えない。

7.について、更生しない可能性もある。犯罪によるが日本全体での再犯率はおよそ50%で上昇傾向にあると聞く。また極刑が考えられる犯罪者に更生機会を与えることの妥当性も甚だ疑わしい。これも日本の治安の維持を考えればまったく合理性に欠ける。

 

死刑廃止論者には何一つ合理性のある主張がないと言うのが私の感想だ。

もちろん死刑など行われない世の中が望まれるし、少しでも冤罪の可能性があり得るなら死刑は適用されるべきではなく、慎重な運用が必要なのは当然のことだ。

しかしそのことと極刑としての死刑という制度があるなしとは関係がない。

死刑の代わりに終身刑の導入を主張する人がいるようだが、終身刑もあってよいだろう。しかし、更にその上に死刑という制度があることを否定する理由にはならないと考える。

 

下記のニュースを見て、どの理由で死刑を適用すべきではないと言えるのか?せいぜい感情論と個人の倫理観で1.を唱えるのがやっとではないか?

 【速報】 茨城・日立妻子6人殺害 小松被告に死刑求刑(茨城新聞クロスアイ) - Yahoo!ニュース

 「殺すほうが大事です。そっちのほうが、興奮するから」殺人に快楽を覚える“反社会性パーソナリティ障害”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

ズレている

日々の報道を見聞きして感じることは当然毎日何かしらあるが、これをタイムリーにブログに書くと言うのは日々仕事に追われているとなかなか大変だ、、、

まぁ、自分が勝手に始めたことで、読者もほぼいないので、タイムリーである必要もないのかもだが。。。

さて、以下の問題である。

平井大臣が五輪アプリ再契約交渉の「脅し」発言で釈明、「NECには丁寧に説明する」 | 日経クロステック(xTECH)

田崎史郎氏、平井大臣「完全に干す」発言に「何が問題かまだよく分からない」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

なぜか2日ももたず話題にならなくなった。まぁ、世間の注目度が低いか、田崎氏同様「何が悪いの?NECがただで良いって言ったんならそれでいいじゃん」と思う人が多いのだろう。

まず私が疑問に思うのは2点

  1. 田崎氏は「NECに直接言ったわけではないのだから問題ない」という発想だが、なるほど担当者はこのままの言葉は使わなかったろうがこの言葉の方針どおりの要求をNECに対して実施したと考えるのが自然であり、つまりそれは取引停止をちらつかせた脅しがあったと考えるのが自然で、それは正当な公正な商取引と言えるのか?という疑問。しかも国家権力がこれを行ったのだ。
  2. 結果的に税金の無駄遣いがなくなったのだからよいというようなことを田崎氏またその他からも見かけるが、それは別の問題ではないか?なるほど使わなくなった機能だから払わないというのは一見正しいが、ではNECはその機能に対して何の投資も労力もかけていなかったのか?いないのであればゼロでも納得できる。少しでも費用が発生していたのであればこれに対価を支払うのが正しい商取引ではないのか?もちろん無償でキャンセル可能な条項が含まれる契約であったのであれば別だが、であれば脅しは必要ないのだからそうではないのであろう。これは正しい商取引なのか?もっと言うとこんなことが通じるということは、当初契約金額も減額した契約金額も妥当なのか?それを判断する能力はそもそも平井や内閣官房情報通信技術総合戦略室とやらのスタッフにはあるのだろうか?という疑問。

私はNECに同情する気もないし、擁護する気もない。

これらの契約が入札だったのか随意だったのか知らないが、要するに脅しに屈する体力のある企業しか国と取引はできないということだ。またその昔富士通による1円入札が問題視されたがあれも同じことだ。未来への投資と言えば聞こえはいいが、そのマイナスはつまり同じ取引相手の別件か、別の取引先の案件で必ず回収される。

世の中そんなものだと言ってしまえばそれまでだ。

それはまったくもって論点がズレていると思う。私のブログのタイミングもズレているけれど。

私は玉川徹さんの意見にまったくもって賛成だ。

玉川徹氏、平井大臣の脅し発言巡り田崎史郎氏と石原良純に疑問「悪くないみたいな感じに聞こえてくる」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

 

 

 

 

 

 

 

 

議論すべきこと する意味がないこと

ここのところLGBTに関連して感じたことを書いてきたが、私自身はLGBTの方を差別したり非難する意図はないことは明言しておきたい。

まぁ、無意識の偏見がまるでないか?と言われると自分ではないつもりでもあるのかもではあるが。なんせ無意識なので。

「差別はよくない」これに異論のある人はまぁそうそういないであろうが、宗教的もしくは政治的な理由(?)でLGBTの人たちに否定的な方が一定数いるようだが、私には否定するもしないも議論する意味すらないと思える。

なぜなら彼らはそこに実際に存在し、性自認性的指向については他者が強制できるようなことでもなんでもないのだから。

個々人の好き嫌いはお任せするが、認めるも認めないもないし、受け入れるも受け入れないもないではないか。そんなことを言う資格は誰にもないし、議論の無駄だ。

LGBT法案、了承見送り 自民「性自認」などで異論: 日本経済新聞

「自らを女性と主張する男性がスポーツ大会で女性として参加して混乱を招く事態や、差別に関する裁判の増加を懸念する声があった。」と言うがそれは差別うんぬんとは関係ないと思える。

法的なもの含めてルール・運用の整備は個別に議論されるべきことだと思うが、性的指向又は性自認を理由とする差別の解消を謳うことに何をそれほど躊躇するのか?

裁判が増加してもよいではないか、裁判含めて個別のケースは議論判断すればよいのだ。

私は同性婚やパートナーシップ制度にも何の問題があるのかよくわからない。

反対する人たちは何を心配しているのか?

「同性婚を認めても、関係ない人にはただ今まで通りの人生が続くだけ」。賞賛を集めたニュージーランド議員のスピーチ | ハフポスト

 まさにこのとおりで、LGBT以外の人には何の不利益も生まないはずだ。もっと言えばあなたたちが反対したところで同性を愛する人は同性を愛するわけで反対もくそもない。

 

ただ、前述したとおり、私も手洗いの問題やスポーツのエントリー等においては生物的・物理的・法的性が優先されるべきであるとは考えている。それはLGBT以外の人に不利益を生むからだ。そういったことにはどこかで線を引くべきだ。

それも差別だと言うならこの議論は永遠に進まないだろう。

世界中のあらゆる設備・環境がバリアフリー化されなければ障害者差別だ!と裁判するようなものだ。

 

6/14追記

下記の記事にあるアンナ・バンベリンゲン選手の意見はまっとうである。

議論の余地などないと思う。物理的優位性をもって競技をするのはアンフェアだ。

解決するには無差別級のようにジェンダーレスというクラスを作るしかない。

但しそれを作ったところで、男性・元男性の優位は変わらないだろうと思う。

 

6/15 さらに追記

国際オリンピック委員会(IOC)は、トランスジェンダー選手の女子競技参加に関して、男性ホルモンのテストステロン値が12カ月間、一定以下なら認めるとするガイドラインを作っているそうだが、それが体力的な優位性がなくなる基準と言う根拠はあるのか甚だ疑問。

 

トランスジェンダー選手が女子スポーツに出場するのは「悪い冗談」 ライバルの女子選手が批判(ELLEgirl) - Yahoo!ニュース