普通とは?私は差別主義者か?

さてさて、ブログをコマメに書くということがなかなか大変とあらためて思い知る今日この頃。書きたいことはたくさんあるのですが、、

 

で、書きたいと思っていたテーマの一つがLGBTとその周辺についてです。

私のブログ読者はまだほぼいない(それでも何十件か見てくださった方がいる痕跡に感謝しております。)ので、炎上しようもないけれど炎上覚悟で書きたいというか知りたいテーマのひとつ。

ただそのテーマに入る前に、まず最初に「普通とは何か?」というよくあるテーマについて確認しておきたい。

私の理解ではシンプルに「普通=マジョリティ」です。単に多数派。

なので、「あなたは普通じゃない」「あなたは異常だ」とかいう言い方をされるとなんか自分がとんでもなく反社会的な人なのかと悪く聞こえていい気分はしないけれど、私は私が身体に障害を抱えていることはマイノリティであり、「普通ではない」「(身体に)異常がある」と自覚しているので、まぁ、それほど腹も立たない。

車イスに乗っている人間なんてお年寄りも含めればマイノリティ、マイノリティと言うほど珍しくもなんともないと思うが、例えば曲がり角やエレベータで車イスに乗った私と出会うと一瞬驚いたような表情をされる方も多いし、何かしてやらんといかんのかな?というようなありがたい困った顔をされる方も多い。で、私はそれはまぁ自然なことだと思う。

店や電車などでいかにも「邪魔だな」と迷惑そうな顔をされたり、不愉快な思いをすることもあるが、その人間が私に何か言ったり、したりしてこない限りは特にこちらから文句を言う気もない。なんせ私は彼らにとって非日常だから、何らかの反応があるのは自然と言えば自然だ。

前置きが長くなった。LGBTとその周辺について、私の不勉強もあると思うが、最近違和感を感じることのひとつは、まるで自分たちがマジョリティであるかのような主張振る舞いが過ぎないだろうかということだ。

誤解しないでもらいたいがマイノリティだから差別されてもしかたないなどマイノリティの私はこれっぽっちも思っていないし、差別には私も断固立ち向かうつもりだ。

今日、常々私がどうなんだろう?と思っていたことがニュースになっていた。

 

性同一性障害職員のトイレ使用訴訟、二審で逆転敗訴 制限の違法性認めず

 

私はこれはいたしかたない判決だと思うのだ。

戸籍上も身体上も男性の人間がご自身の性自認を理由に女性用トイレを使用することはその女性用トイレを使用する戸籍上も身体上も女性つまりマジョリティにある種の苦痛と忍耐を強いることになるわけだ。

もちろんこの性同一障害の方も男性トイレを使用することにある種の苦痛を伴うのでしょう。それは気の毒だとは思う。

しかしながら、これは名古屋城のエレベーターの話でも書いたが、残念ながらマイノリティが受け入れざるを得ない最小限のバリアだと思うのだ。

マイノリティは我慢をすることが当然か?と言われるともちろん誰も何も我慢しないのが理想だが、マジョリティが我慢することもこれまた当然ではないわけだ。

ましてこの記事を見る限り、離れたフロアの女性用トイレの使用は認められているとのことなので、それが妥当かどうか私にはよくわからないが、この職場は誰かが一方的に100%苦痛・不便を強いるようなことにならない配慮もしているわけだ。

 

もちろんこの原告の方の見解がすべてのLGBTの代表的意見というわけはないのだけれど、こういった記事を見るとこれってLGBTの方たちへの偏見等をなくすことにプラスなのだろうか?むしろ逆では?このLGBTの方のことを少々横暴だな、と思う私はやはり「差別主義者」ということになるのだろうか?