主張の仕方

前回のブログでは、LGBTの方の訴訟を例に「これはLGBTの方の主張・意見として多く共感が得られるものなのであろうか?」という違和感を書いた。

あたりまえの話だが、LGBTだろうが障害者だろうが外国人だろうが健常者だろうが、何かしらのくくりで人を呼んでも、そのくくりの人たちの意見や考えはそれぞれ千差万別だ。

しかしながら、世の中ついついあるくくりで語られがちだし、そのくくりの人たちにある種の共通点が見られることも少なくないだろうから、偏見や思い込みが生まれるのもある程度はいたしかたない面もあろう。

であるからこそ、特にマイノリティの人たちは一つの言動で余計に偏見を生んでしまうリスクが高いように思うし、前回のブログでもどうなのだろう?と問題提起のつもりで疑問を呈した。

 

さて、「じゃ、障害者はどうなのよ?」と言われそうだなと勝手に思ったので、もう少し古くなったが、先日話題になった伊是名夏子さんという方のブログに批判の声が多く上がった件について、一言私の感想を書いておこうと思う。

 

JRで車いすは乗車拒否されました : コラムニスト伊是名夏子ブログ

 

騒動の詳細はあちこちに書かれているので、あえてここでは書かずにおく。

私の意見は単純。

伊是名さんの嘆き・思いの根幹的な部分には共感できるが、発信の仕方には共感・賛成できないということだ。

嘆き・思いの根幹的な部分というのは、障害者、特に車イスやある種の装置が必要な人間は公共の交通機関や施設すら利用できないことがあり、利用できても多くの時間や手間を要し大変な苦労が多いということへの嘆き、そしてそういうバリアは一日も早く少しずつ減少してほしい!という思いだ。これはまったくもって同意共感できる。

が、それを「乗車拒否だ!」と訴えることには私は共感できない。

事前に調べられることは調べて、乗車30分前には現場で相談して、と出来る手間はきちんとこなされたのもわかるし、ご苦労があったのもわかる。

駅員の対応に疑問を感じる点もあったのかとは思うけれど、結果希望した駅を利用できたのだから、拒否されたと強い言葉で訴えるのではなく、ご自身の苦労を伝えた上で、対応した駅員への感謝の言葉とともに、例えばHP上の駅の情報の充実や障害者への案内の更なる明確化等具体的な提案をすれば、伊是名さんの苦労と主張を否定されるようなことはなかったのでは?と思う次第。

 

何度も言うがマイノリティは我慢するのが当然だなどと言う気はさらさらない。

ただ、なんであれ主張の仕方を間違えるといらぬ偏見や反感を生むのも事実なので、世の中をより多くの人にとって快適にするためには、それなりの思慮と戦法が必要だと思うのだ。

 

でもあらためて言っておく。エレベーター、多目的トイレ、車イス用駐車場等それらの物理的制限・バリアを減らすための公的努力を間違った使い方で台無しにするような輩は私は許さんよ。