議論すべきこと する意味がないこと

ここのところLGBTに関連して感じたことを書いてきたが、私自身はLGBTの方を差別したり非難する意図はないことは明言しておきたい。

まぁ、無意識の偏見がまるでないか?と言われると自分ではないつもりでもあるのかもではあるが。なんせ無意識なので。

「差別はよくない」これに異論のある人はまぁそうそういないであろうが、宗教的もしくは政治的な理由(?)でLGBTの人たちに否定的な方が一定数いるようだが、私には否定するもしないも議論する意味すらないと思える。

なぜなら彼らはそこに実際に存在し、性自認性的指向については他者が強制できるようなことでもなんでもないのだから。

個々人の好き嫌いはお任せするが、認めるも認めないもないし、受け入れるも受け入れないもないではないか。そんなことを言う資格は誰にもないし、議論の無駄だ。

LGBT法案、了承見送り 自民「性自認」などで異論: 日本経済新聞

「自らを女性と主張する男性がスポーツ大会で女性として参加して混乱を招く事態や、差別に関する裁判の増加を懸念する声があった。」と言うがそれは差別うんぬんとは関係ないと思える。

法的なもの含めてルール・運用の整備は個別に議論されるべきことだと思うが、性的指向又は性自認を理由とする差別の解消を謳うことに何をそれほど躊躇するのか?

裁判が増加してもよいではないか、裁判含めて個別のケースは議論判断すればよいのだ。

私は同性婚やパートナーシップ制度にも何の問題があるのかよくわからない。

反対する人たちは何を心配しているのか?

「同性婚を認めても、関係ない人にはただ今まで通りの人生が続くだけ」。賞賛を集めたニュージーランド議員のスピーチ | ハフポスト

 まさにこのとおりで、LGBT以外の人には何の不利益も生まないはずだ。もっと言えばあなたたちが反対したところで同性を愛する人は同性を愛するわけで反対もくそもない。

 

ただ、前述したとおり、私も手洗いの問題やスポーツのエントリー等においては生物的・物理的・法的性が優先されるべきであるとは考えている。それはLGBT以外の人に不利益を生むからだ。そういったことにはどこかで線を引くべきだ。

それも差別だと言うならこの議論は永遠に進まないだろう。

世界中のあらゆる設備・環境がバリアフリー化されなければ障害者差別だ!と裁判するようなものだ。

 

6/14追記

下記の記事にあるアンナ・バンベリンゲン選手の意見はまっとうである。

議論の余地などないと思う。物理的優位性をもって競技をするのはアンフェアだ。

解決するには無差別級のようにジェンダーレスというクラスを作るしかない。

但しそれを作ったところで、男性・元男性の優位は変わらないだろうと思う。

 

6/15 さらに追記

国際オリンピック委員会(IOC)は、トランスジェンダー選手の女子競技参加に関して、男性ホルモンのテストステロン値が12カ月間、一定以下なら認めるとするガイドラインを作っているそうだが、それが体力的な優位性がなくなる基準と言う根拠はあるのか甚だ疑問。

 

トランスジェンダー選手が女子スポーツに出場するのは「悪い冗談」 ライバルの女子選手が批判(ELLEgirl) - Yahoo!ニュース