小山田圭吾
さて今回こそリアルタイムで書こうと思っているうちに、辞任という結果が出てしまった。
いや正解である、というか不正解のあとの正解だが、、、
私自身は何年も前にこのいじめ自慢記事のことは知っていて、一瞬で彼が大嫌いになったし、YMOのサポートメンバーに出てきた時にはがっかりしたものだ。
また渋谷陽一のロッキンオンを一時期愛読していた私としては、ロッキンオン時代から記事がつまらなかった山崎洋一郎がロッキンオンジャパン編集長と知って「さもありなん」と思ったのを思い出す。
さて、当件いじめの内容がひどいことはもう言う必要はないだろう。
25年以上前の記事のことを今さらという意見もあるが、30近い大人が公にいじめ自慢をしていたのだから、現在の人格を問われても文句は言えないだろう。
当時のサブカルではあの価値観がまかりとおっていたこと自体が問題というような意見もあるようだが、90年代半ばにあの記事をよしとする価値観などサブカルといえどまったくなかったと思うし、あの記事を出版する山崎洋一郎が編集長として頭がおかしいとしか言いようがない。
皆それほど清廉潔白に生きてきたのか?という意見もあるが、だからと言って現在の人格を疑われる彼を国際的な公の場しかも障害者が関わる場に起用する妥当性がどこにあるのか?
あるならばオリンピック組織委員会と本人が説明をすればよいだけだ。
私も子供のころはいたずらはしたし、そのうちのいくつかはいじめと言われても仕方がないなと大人になってから後悔したこともあるので、えらそうに言う資格はない部分もあるのだが、にしても彼のいじめは犯罪のレベルだし、大人になって自慢気に語るのは常軌を逸していると言われても仕方あるまい。
今、巷で世間で人気のひろゆき氏がツイッターで「前科者の北野武がオリンピックに携わっても批判されるのか?」というような主旨の発言をしているが、刑事罰を既に受けている人間の話を同様に語るのはいかがなものかと思う。ただ、誤解を招く言い方かもだが、このひろゆき氏の発言で、いじめとかそういった刑罰を伴わない過ちの方が取り返しようがないというか償いようがないのだなぁとあらためて感じさせられた。
小山田圭吾はかつていじめた人たちに謝罪したいと言っていたがそれにどれほどの意味があろうか?
これを理由に小山田圭吾を社会から抹殺するような言動はそれはそれでどうかと思わなくもないが、彼はこの世間からの軽蔑を一生背負わざるを得ないであろう。なんせ自分で自慢げに世間に発信してしまったことなのだからそこは自業自得というものだ。
そんなことはわかっていたであろうに、オリンピック・パラリンピックの仕事を引き受けたこと自体が私には理解しがたい。わかっていなかったのであれば、彼は未だに自分が恥ずべき発信をしたという自覚がなかったということだ。
また、こんなネットででも少し調べればわかることも調べず、彼を当件に採用した組織委員会の杜撰さには呆れてものが言えない。
彼を推薦した人間は今からでも意図含め説明すべきではないか?
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