オリンピック 2020

さていろいろあったが東京オリンピックが始まった。

様々な観点で様々な賛否両論が今も続いている。

私は「再延期が望ましい」派であったが、予定通り開催派 vs 中止派の二極の議論ばかり取り上げられて、再延期派はおよびでなかったのは、いまだに腑に落ちない。

中止派ではない私としては、始まったからにはとにかく極力安全に大会が進み、選手の皆さんの活躍をテレビやネットで楽しみたいばかりだ。

 

さて、当オリンピックでも様々な「差別」問題が取り上げられてしまっている。

小山田圭吾の件については別途ブログにも書いたがその後も小林賢太郎だ、のぶみだ、挙句開会式に曲を使用されたに過ぎないすぎやまこういちまで問題視される始末だ。

小山田のそれとのぶみのそれは似たところがあるが、それぞれことの性質が異なるように思う。

ひとつひとつについては今回書く気はないが、小林賢太郎氏の件については、自分も含めて人種・差別問題についての感覚のズレ・無知があるなとあらためて感じた。

さすがに私もユダヤ人虐殺をコントのネタにしてよいわけがないというくらいの常識はあるつもりだが、コントをしていた当時の彼らにはなかったのだろう。擁護するつもりはないが、彼らは差別意識とかではなく、単純にそれはシャレにしてはいけないことだという知識がなかった、無知だったのだと思う。(じゃ、小山田もいじめやいじめ自慢がよくないことだと知らなかった無知なだけでは?などという馬鹿な反論する人はいないと思うが、いても相手にしたくない。)

 

これまた違う話ではあるが、数年前のダウンタウンの黒塗り問題を思い出した。

エディマーフィーに扮した浜ちゃんが問題視された件だ。

正直言って私も「え?いや、あれは差別意識や黒人を侮辱するためのものではないでしょ?」と思った一人だ。

世代にもよるとは思うが、今の日本人で肌の色を重視する人はどれくらいいるのだろう?

断言できるが、私はスポーツや音楽の趣味もあってか、黒人のことをすごいとかかっこいいと思うことはあっても、肌の色を理由に侮辱するような気持ちをもったことは一度もない。古い話だがシャネルズ(ラッツ&スター)が黒塗りで登場した時も純粋に黒人ドゥワップグループへの憧れだと理解できた。

が、そんな日本人の無邪気さは世界では理解されにくいのだなと、ダウンタウンの一件で自分の無知・不認識を知らされた。

エディマーフィーのいわば映画のキャラクターのコスプレの話と明確な人種差別から起きた虐殺の話をコントのネタにした話とは一緒にできないことはもちろんわかっているつもりだが、無知から起きたという点は共通するように思う。

 

日本人は特殊なのだなと思わされることは少なくない。

メジャーリーグなどのスポーツ、グラミー賞などのエンターテイメントの授賞式などを見ていて、「なぜこの国に黒人差別が起きるのか?」などと素朴に思う私などは世界からすると無知・能天気なマイノリティなのだろうなと自覚しつつも、もやもやした気持ちになる。

 

ただ、誤解を恐れずに言えば、それでも時と場合によっては、そんな日本人の特殊さ・無邪気・無頓着・無神経を世界の人が真似してもいいんじゃないか?と思う部分も正直ある。

宗教に関するいいかげんさとか、、、これはいつかブログに書きたいと思う。

 

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