私は心がせまいのでしょうか?

仕事に忙殺されたまま2022年を迎え、あらためてブログのみならずいろんなことを「継続する」難しさを知る。

 

で、やっと書いたと思ったら、またこの話題、

というかとうとう日本でもあちこちで出始めたこの課題。

「性自認は女性」と説明の利用客、女性トイレに侵入容疑で書類送検(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

以前にも書いたが、正直私からすると腹正しい気持ちにすらなる。

通常の男性トイレにも女性トイレにも個室はあるではないか。何も男性トイレの小便用に並んで用を足す姿をさらすようなこともない。ある程度プライバシーは守られる。

そもそも世の中には例えば店舗の中等に男女兼用トイレ=ジェンダーフリートイレだってあるところは少なくはない。

よくこの解決策として多目的トイレを増やすというトランスジェンダーもしくはその周囲の方の意見を見るが、どうしてそれが解決になるのか?それによって本来物理的に多目的トイレを必要とする人間が不利益を被ることは考えないのだろうか?

外に出て現実をよく見てもらいたい、駅やサービスエリア、商業ビル、その施設もしくはフロアに2つ以上多目的トイレがあるところがどれほどあるか?1つあれば御の字だ。

それが仮に2つになったとして、車イス利用者やベビーカーをもった男女、オストメイト利用者と同様にトランスジェンダーの方も使うことが当然だと?

そこしか物理的に使えない、使えなければ最悪粗相することになってしまう人、小さな子供の世話するスペースが必要な人と同様だと?

はっきり言わせてもらうが冗談ではない。

 

このブログで何度も書いているが、そうやってマイノリティ自身が自分たちへの偏見・先入観を助長させてしまうのだ。

もちろん、世のありとあらゆる人が何の不便も不自由も感じない、何も我慢することがない、たしかにそれが理想だ。

その理想に向かうにしてもその過程で不便・我慢は発生するし、そこには優先順位というものがあるのではないか?

私はLGBTの方たちを差別する気はないが、心がせまいのでしょうか?